私は小学3年生で転校をした頃から薄毛が始まり、全くないと言っていい程まで抜けてしまいました。

 

 当時は、両親がよく喧嘩をしていて、目をつぶっても母が正座をして父に叱られる姿を立体的に見ていました。夜、目が覚めると両親が生きているのかを確かめに行き、「死なないで」と泣いていた程でした。

 

 当初は、精神病院で抜毛の原因を探る為、木に林檎がなっている絵を書かされました。

 

 近くの皮膚科を何件も回り、投薬と紫外線の照射治療をしたり、父がどこからか聞いてきた個人のお宅に伺って、にんにくか何かをすり潰し薬を作ってもらった事もありました。

 

 始発電車で大学病院に通い、ここでも投薬とプラスチックの容器にアルミホイルを巻いた揮発性の高い薬を絵の具の筆で塗ったり、頭を押さえつけられて注射の針をあちふこちに動かして打つ頭皮注射もしました。これは、かなり痛いですが効果はあったと思います。ここでの診断は、「髪は抜けているのではなく、根本からスパッと切れている」でした。毛根の先のポチッとした部分が私の抜毛にはなかったそうです。精神的な抜毛だったのかもしれません。

 

 食生活では、お馴染みのプルーン、クロレラの錠剤と粉末を水に溶かしたドリンク、海藻類をよく食べさせられました。

 

 母は、心配して「女の子だしかつらを買った方がいいのでは?」と思っていたようですが、父は強くする為、「悪い事じゃないので隠す必要はないらそのまんまでいい、大丈夫」断固反対したのでかつらをかぶった事はありません。

 

 ハゲた女の子なので、もちろん学校で「ハゲ」と言われる事は当たり前、妹もよく「お前の姉ちゃん、ハゲやろ?」って言われていました。道をあるけば、薬品会社の人だったのでしょうか?大人の人に心配されて「家の電話番号は?」「お母さんは?」を聞かれ「家に電話はないです」と答えたり、公園で他校の生徒に「ハゲ」と言わているのを他校の校長先生が見ていて、後日、校長室に呼ばれ「うちの生徒が悪かったね」と謝られた事もありました。

 

 ある日、母が「やられたら、やりかえしていいんよ。倍にして返しなさい」と言う言葉で「なぁんだ、そうなんだ、やりかえしていいんだ」と気持ちが軽くなり強くなれた気がします。

 

 ハゲを認めて、「ハゲ」と言われても「そうよ、だから?」と言える強さが身につき言われなくなりました。いつも家族が味方でいてくれた事と友達がたくさんいたので「大丈夫、絶対治してやる」と思っていました。

 

 生活習慣では、とにかくストレスを溜めない、心配しすぎない事。心配なここでもがあっても「大丈夫、大丈夫、何とかなる」というか「何とかする」と思って、寝るまでにリセットする事。髪に優しいブラシを使い、頭皮のハンドマッサージ。

 

 強くなりすぎたのか、中学に入る頃には髪は少ないですが、治っていました。体質なのか季節の変わり目には、抜毛が多くなりますが、地肌が見えない程度まで回復するので「髪が少ない」と受け止めて悩みはありません。

 

 産後には周りが心配する程抜けましたが、早寝早起きと育毛剤で朝晩のマッサージ、毎日気持ちをリセットする、心配事は主人に聞いてもらう、子供と一緒に笑う事で、また気にならない程度まで復活しました。